アイアンマンことトニー・スタークがいかにクソッタレな野郎なのか

マーベルコミックスのスーパーヒーロー達が力を合わせて活躍する映画、
アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン」が全世界で大ヒットを記録し、
現在日本でも公開が開始されて既に何週間かが過ぎているのですが、
今回はこの映画に登場するヒーロー達の一人である
アイアンマンことトニー・スタークという男が、
いかにヒーローと呼ぶに値しないクソッタレな野郎なのか、ということを
彼が登場する映画を順に追いながら論評していこうと思います。

まずは1作目、「アイアンマン」です。

この映画でトニー・スタークはアイアンマンというヒーローになるわけなんですが、
アイアンマンになる前の彼は、兵器産業の会社の社長、いわゆる死の商人です。
そんな彼が自分の会社が作った兵器を使用するテロリストに拉致されたことで、
自分が死体の山を築いているんだということに気が付きます。

まあ、そんな程度のことにも気付かずに
今まで兵器産業に携わってきたのかというところはありますが、
若気の至りという言葉もありますし、
誰だって長い人生の中で一度くらいは大きな過ちを犯すものですから、
ここまでは良いでしょう。問題はその後です。

テロリストに拉致されたトニー・スタークは
最初のアイアンマンのスーツを開発してテロリストの手から脱出し、
記者会見で今後一切兵器産業には関わらないということを宣言します。
そして自分の会社が作った兵器を使用するテロリストと戦うために
新たなアイアンマンのスーツを密かに開発し始めます。

ここで問題なのは、
彼が世界的な大企業である自分の会社の事業方針を大幅に変更したにもかかわらず、
会社のことは完全にほったらかしにしている、ということです。
兵器産業の代わりに自らが立ち上げた新事業には一切協力をせず、
会社の役員会すらもすっぽかし、
ひたすら家にこもって彼は新たなアイアンマンのスーツを開発しているんです。
自分が会社の社長であるという自覚がまるでない無責任にも程がある行動だと思います。

その結果として社員による不正取引が横行してしまい、
会社の強力な兵器が次々とテロリストの手へと渡ってしまったことで
テロリストによる虐殺が発生してしまうのですから、
これはもう彼がまた更に死体の山を高くしてしまったと言っても良いでしょう。

また、この後彼は新たなアイアンマンのスーツの開発に成功し、
アイアンマンとしてテロリストとの戦いを始めることになるのですが、
兵器産業には一切関わらない、と記者会見で宣言したにもかかわらず、
彼が開発した新たなアイアンマンのスーツはまさに兵器そのものです。
特別な設備を一切必要としない離着陸と高速飛行が可能で、
敵の銃弾や砲弾をことごとくはね返し、
更には地上最強の乗り物である戦車すらも一撃で破壊してしまうようなもの、
兵器じゃなかったら一体何だと言うんでしょうか?

しかも彼はその新たなアイアンマンのスーツを
今までの兵器産業の主な取引相手であるアメリカ軍の友人に見せてしまい、
あろうことか映画の最後には自分がアイアンマンだということを公表したことで、
アイアンマンのスーツという強力な兵器が実在しているということも公にしてしまいます。

こうなってしまえば当然アメリカ軍だけでなく世界中のありとあらゆる軍隊が
新たに登場した強力な兵器であるアイアンマンのスーツを欲しがるはずですから、
今後は世界中でアイアンマンのスーツが開発され、
何年か後には世界中の軍隊がアイアンマンのスーツを保有することが
当たり前の時代になることが予想されます。

つまりトニー・スタークは戦争をより高度なものに変える
アイアンマンのスーツという新たな兵器を開発したことで、
今後もまた更に死体の山を高くすることになるのです。

続いては2作目、「アイアンマン2」です。

アイアンマンの活躍によって各地の紛争が鎮圧され平和が訪れるも、
案の定世界中でアイアンマンのスーツの開発が始まる、というところから話は始まります。
トニー・スタークは自分以外の人間がアイアンマンのスーツの開発に成功するには
あと5年から10年はかかると宣言し、
自分は世界平和の民営化に成功したんだと得意満面です。

新たな兵器の登場が一時的な抑止力となっているだけで
根本的な問題は何一つ解決しておらず、
更に5年から10年後には世界中でアイアンマンのスーツが開発されるということを
予想できているにもかかわらず、
彼は博覧会を開催したり、カーレースに飛び入り参加したりと
自己顕示欲の塊のような行動を繰り返します。

要するに彼にとって世界平和なんてものは実際はどうでもよく、
凄いものを作った自分、凄いことをした自分、をひたすらに見せびらかし、
周りからちやほやされる、ということの方がよっぽど大事なんです。

そんな中アイアンマンのスーツを作れる人間が新たに登場し、
その上アメリカ軍の友人にアイアンマンのスーツを奪われて
また更に死体の山を高くしているのですから、もう呆れてものも言えません。

まだまだいきます。次は3作目、「アベンジャーズ」です。

この映画でトニー・スタークはS.H.I.E.L.D.という世界的な組織が
強力な兵器を持つことで平和を守ろうという
いわば核抑止論のようなものを掲げていることを批判しますが、
強力な兵器を持つことで平和を守ろうとしているのは他ならぬ彼自身です。

自分もまったく同じことをしているにもかかわらずに
相手のことを批判できるということは、
つまり彼は自分自身を批判的に見るということを
一切していない人間だということがここで分かるわけです。

ようやくラストが見えてきました。4作目、「アイアンマン3」です。

この映画に関しては彼はほとんどクソッタレなことはしていません。
まあ自宅の住所を公開してテロリストを挑発する、というのは
あまり褒められた行動ではないと思いますが、
長年の友人を傷つけられた怒りから
「かかってこい、ぶっ潰してやる!」と言ってしまう気持ちは
十分に理解できますので、これは仕方がないと言ってもいいでしょう。

それよりも問題なのは、彼が戦う相手が実際はテロリストではなく、
テロリストという敵を作り上げ、
そのテロリストと戦うための兵器を売ることで利益を得る、という
マッチポンプを仕組んだ組織だということです。

いよいよラスト、5作目の「アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン」です。

人類を滅亡させようとする人工知能の手から人々を守るために
スーパーヒーロー達が力を合わせて戦う、というお話ですが、
その人工知能を作ったのは他でもないトニー・スターク自身です。

自分で敵を作っておいてその敵から人々を守るために戦うだなんて
そんな馬鹿げたことをするヒーローが一体どこにいるんでしょうか?
前作で散々マッチポンプを仕組んだ組織と戦ったにもかかわらず、
今度は彼が完全にマッチポンプを仕掛ける側になっているんです。
そして当然その結果としてまた更に死体の山を高くすることになります。

…以上のことから、
トニー・スタークは兵器産業で自分が死体の山を築いていたということに気付き、
兵器産業から手を引いたと言いながらも、
実際はそれまでと同様に兵器産業に関わり続け、
ヒーローとして活躍することで自己顕示欲を満たし、
自分がどれだけの悪影響を周りに与えるのかということにも一切気付かずに
ただすたすら死体の山を高くし続ける、という
最低最悪のクソッタレ野郎だということが分かります。
こんな奴の一体どこがヒーローだというんでしょうか?

トニー・スタークのことをヒーローだと思う人が一人でもいる限り
世界から戦争が消えることは絶対にないと思いますが、
どうやら彼は一般的にヒーローとして認知されているようなので、
少なくとも私が生きているうちにはそんな日は来ないのでしょうね。

見た目の格好良さや映画の雰囲気などに騙されず、
トニー・スタークが本当にヒーローなのかどうかということを
もう一度問い直してみてもいいのではないでしょうか?

キッチュ

この映画の美術は逆にキッチュだ。

というような形で使われる単語、「キッチュ」。
ドイツ語の「まがいもの」、「俗悪なもの」といった意味の言葉なんですが、
「キッチュ(Kitsch)」というのは
けばけばしさや古臭さ、安っぽさなどから美しさを感じるという意味です。

まあ簡単に言うと、
ものっ凄い安っぽいデザインの○○なんだけど、
なんだか安っぽ過ぎてちょっと興味が湧いてきちゃう、というようなことですね。

評価の付け方

我が映画ベースもそうですが、多くの映画のレビューサイトでは
星の数や得点などで評価を付けられるようになっていますので、
まずは評価の付け方についてです。

評価を付ける、というと
「映画を一律的に評価することなんてできない」
「映画に評価を付けるだなんて、そんなおこがましいことはできない」
といった理由から、
評価なんて付けずに文章だけを書くようにしたい、という人がいるかもしれませんが、
ハッキリ言って文章だけでは
その人がどのくらいその映画のことを良い映画だと思ったのかは分からないんです。

確かにすべての映画を一律的に評価することなんてできませんし、
人の作った映画に評価を付けるだなんておこがましいにも程がありますが、
レビューを読まれる方にとって一番知りたいことは、
その映画が良い映画なのかどうか、ということなんです。

ですから、
自分がどのくらいその映画のことを良い映画だと思ったのかということを
星の数や得点といった数値に置き換える
、という程度のことが
評価を付ける、ということなんだと考えて、
是非レビューを読まれる方が一番知りたがっていることを
評価という形で教えてあげてみてください。

さて、前置きが長くなりましたが、ここからは評価の付け方です。

映画のレビューサイトは多々ありますが、
私の知る限り100点満点よりも細かく評価をつけられるサイトはありませんし、
仮にそんなサイトがあったとしても
それ以上に細かく評価をつける意味なんて殆どないと思いますので、
まずは100点満点での評価を基準にします。

次に0点から100点までの間を10点間隔で区切り、
大雑把な映画全体の印象の基準を設定します。

私の場合、

100点:これを超える映画はない!!
90点:素晴らしい!
80点:面白い。
70点:よく出来てる。
60点:なるほどなぁ。
50点:まあこんなもんだろう。
40点:あんまりだなぁ。
30点:最低限我慢できる。
20点:つまらない。
10点:この映画は駄目だ。
0点:こんな映画観ても無駄。

というような感じですね。

で、映画全体を振り返ったときの印象がこの中のどれに一番近いか、
ということを探っていって、最終的な点数を決めます。
もちろん、「まあこんなもんだろう。」と「なるほどなぁ。」の
ちょうど間だったら55点、というように、間の点も使います。

あとはこの100点満点での評価をそれぞれのサイトのルールに合わせるだけです。
例えば星の数が1~5の5段階で評価を付けるサイトなら、点数を20で割って、
0から1なら星1つ、1から2なら星2つ、としていけばOKです。
この辺はもう算数ですね。

まあ、映画全体の印象で評価を付けているわけなので
具体性なんてまったくない評価の付け方ですが、
こんな感じで評価を付けていれば
少なくとも自分がどのくらいこの映画のことを良い映画だと思ったのか、
ということはレビューを読まれた方にも伝わると思います。

レビューの書き方について

同じ映画を観ても人それぞれ感想が違うのですから、
映画のレビューの書き方も人それぞれ違っていて当然ですし、
またそうあるべきだと思っていますが、
映画のレビューを書き始めたばかりのときは
何をどう書いたらいいのか分からないですよね?

この「レビューの書き方」のカテゴリーでは、
私紀平のレビューの書き方、
それからレビューを書く際に気を付けていることをまとめていきます。

私は映画の評論家でもライターでもありませんので
ハッキリ言ってあまり役には立たない内容だと思いますが、
映画のレビューを書き始めたばかりという方が
ほんのちょっとだけでも参考にしてくれれば良いな、と思っております。

コンセプチュアル

本作は子ども向け映画というよりも、
むしろコンセプチュアルなアート作品に近い。

というような形で使われる単語、「コンセプチュアル」。
「コンセプト(concept)」の後ろに「ual」が付いた形容詞なんですが、
「コンセプチュアル(conceptual)」というのは概念的という意味です。

じゃあその概念的ってのはどういう意味じゃい?となるんですが、
概念というのは物事の本質をとらえる思考の形式、という意味なので、
まあ大雑把に言ってしまえば概念的というのは
物事の本質をとらえようとしてるっぽいということになりますね。